――彼女が心から笑ったら、さぞや綺麗だろう、って、ずっと思っていたんだ―――
『彼女』と知り合ったのは、短大の入学式。
「中等部からエスカレータ」だという彼女は、公立から外部受験の私には『お嬢様』に思えた。
実際、彼女の雰囲気や物腰の柔らかさは、そんな雰囲気を醸し出していたし。
正直、「ちょっと苦手なタイプかも」と思った。
席が隣になって、言葉を交わすうち、学部や専攻が同じ事がわかって。
彼女は内部進学者のワリに、『親しい友人』と呼べるような人はいない風で。
(もちろん、顔見知りや友達は多かったけれど)
特に『群れる』事を好まない私は、なんとなく彼女と行動を共にすることが多くなった。
彼女は落ち着いた雰囲気とはまるで正反対で、少し−いや、かなり−のトラブルメーカーだった。
「桜乃ちゃん、まさかと思うけど、内部生なのに『まだ』校内で迷ったりしてないよね・・・??」
「えっ!? だ、だって、短大校舎はあまり来た事ないし・・・」
「でも、校舎の位置関係は頭に入ってるんじゃないの?」
「え、えと・・・・」
初めて会った頃なら、かなりイライラしていたと思う。
でも、この頃私はなぜだか彼女に『慣れて』しまっていて。
彼女の起こす日常の事件が、なんとなく楽しくなっていた。
それを彼女に言うと、ちょっと困ったような、複雑な表情をして
「…前にも、そんなこと言われた事あるよ・・・・」
と囁くように呟いた。
え?と問いかけるような視線になっていたのだろう。
彼女ははっとして
「えと、その、『朋ちゃん』にね!!」
と、慌てて笑顔をみせようとした。
『朋ちゃん』は、彼女の大親友だ。
私も一度あったことがあるが、『元気印』という言葉がぴったりな子だった。
高等部まではずっと一緒だったらしいが、『朋ちゃん』は進みたい道を見つけて、外部に行ってしまった。
だから、『短大の入学式は、朋ちゃんがいなくてどうしようかと思った』とは、後に聞いた。
彼女の言葉の端はしに、よく出てくる名前だ。
でも・・・。
今回は『違う』と感じた。
彼女は、時々そんな事がある。
ここにいるはずなのに、どこか遠くにいってしまったような・・・。
そうして、急に陽気に話し出す。
『朋ちゃん』に会ったときにも『こう』なって、朋ちゃんは一瞬複雑な顔をしたあとで、彼女の切り替えに無理して合わせていた。
−だから、私もそうすることにした。
それが、今の彼女にはいいみたいだから−
彼女が過敏に反応するもの−その最たるものが『テニス』と、『彼』の名前。
4月の頃、一応サークル勧誘なんてものもうけて。
「桜乃ちゃんは、どこかに入らないの?
私は、バイトする予定だから、入らないけど」
「うーん、どうしようかな・・・・」
「高等部では、なにかやってた?文化系?」
「えと、テニス・・・」
「えっ!!??『青学テニス部』!!??
すごいじゃない!!」
「え、でも男テニとはずいぶん違うし・・・。」
「それでもすごいよ!もしかして、中等部から?」
「えと・・・い、一応・・・」
「うわっ!じゃあ越前リョーマと一緒だったんだ!!」
―――瞬間−----彼女の周りの空気が、ぴりッと振動した。
驚くでもなく、意識したというのでもなく、ただ全身で反応していた。
きっと、彼女も全く無意識だった。
「あ、あ、の。学内でも有名人だったから、見たことはあるけど・・・・」
「へ、へーえ、私も見てみたかったな、ザンネン!!」
人って、緊張が高まるとこんなカンジになるのかーという見本のようだった。
―――私は、話を、打ち切った。
『越前リョーマ』
今や、日本が誇る、売出し中のプロテニスプレイヤー。
実力もさることながら、その容姿で、テニス雑誌以外でも特集が組まれたりもする。
ただ、本人は大の『マスコミ嫌い』らしく、見聞きする内容には、『彼』そのものをあらわしているものは全くない、といってよさそうだった。
確か、中学までこの青春学園で過ごし、卒業と同時にアメリカへ渡ったらしい。
調べようと思えば、彼女と同じように上がってきた子達を捕まえて、話を聞いてもよかった。
でも、何故だか私はそうしなかった。
『彼女が必死で守っているもの』を、私も侵してはいけないような気がしたから−?
彼女の日々は、穏やかだ。
優しく、淡々と過ぎていく。
名前にある花の季節のように、暖かい。
でも、彼女は『心から』笑わない。
まるで、全身が薄い膜で覆われているようだ。
湖の底にいるような微笑をする。
誰に対しても丁寧に接するのは、誰に対しても心動かされていないのと同じコト。
誰も、その瞳に映していないのと同じ事・・・・。
そのうち、『越前リョーマ帰国』の文字が躍るようになった。
テニスに詳しくない私にはよくわからないが、日本の大会にでるらしい。
向こうに渡ってから、一度も帰国していないというから、マスコミにはここぞとばかりに大きく取り上げている。
『最近調子を落としているようだから、療養を含んだ帰国なのではないか−』そんな記事も見かけた。
「桜乃ちゃん?ヘーキ?」
「・・・えっ?何が?」
ワンテンポ遅れて返す言葉は、酷く緊張したもの。
今日だ、たしか。彼の帰国は。
「ごめ・・・・。気分が悪いから、少し休んで帰るね?」
寝れて、いないのだろうか。
「じゃあ、そこのベンチに座りなよ!!」
テニスコートの近くのベンチを指す。
ちょっと緊張したようだが、耐え切れないのか座り込んでしまう。
「ごめんね?先に帰っていいよ?」
「なに言ってるの。
こんなとこにほっぽっておける訳ないじゃない」
「ごめ・・・」
「もう!いつも言ってるでしょう?謝るのなし!!」
「ふーん、アンタの『誤り癖』って、まだ治ってないんだ?」
通る、低い声。
彼女の全身が震えた。
思わず振りかえる。
白いキャップから覗く緑がかった髪、色の濃いサングラスからも伺える鋭い瞳。
ラフな格好をしているが、引き締まった体つきがわかる。
わかった、彼は――――――
「リョーマくん・・・・・」
口元に手を押さえたまま、眼を見開いた彼女が固まっている。
「・・・・ヒサシブリ?」
彼の双眸が少し揺らいだように見えたのは、見間違いだろうか・・・・。
「ど・・・・どうして・・・?」
「・・・・来たかったから・・・・。
会いたかったから・・・・。
アンタに」
「か、勝手だよッ!!」
「・・・・うん、知ってる・・・・。
でも、そんなこと、アンタの方がヨク知ってるでショ?」
「・・・・・・」
ぽろぽろと、彼女の眼から涙がこぼれた。
きっと、自分が涙を流していることに、彼女自身も気づいていないに違いない。
その涙はなんの涙・・・・??
「あの頃はガキだったから・・・。
1人でも大丈夫だと、アンタがいなくてもヘーキだって、思ってたから・・・・けど・・・」
彼が、逢ってから初めて、自分から眼を逸らす。
「いてよ・・・・『ここ』に・・・・」
体から切り取るようにつぶやいた。
「リョーマくん・・・・・・」
ずっと、緊張の表情しかみせていなかった彼女の顔が、違う空気を含む。
「私・・・」
「少しづつでいいから・・。オレのこと信じて・・・?
前は信じさせてあげられなかったけど、今度こそ・・・。」
そのとき彼女が見せた表情は、今でも忘れられない。
ずっと、ずっと、私の胸の中を照らしてる。
きっと、彼にとってもそうに違いない。
それからの彼は、負けなしだったのだから・・・・。
程なくして、短大を卒業するのをまちかまえたように、彼女は攫われてしまった。
もう、彼女が『水の中にいるような』表情で笑うことはないと思う。
泣いたり、笑ったり、罵ったり、そんな『アタリマエ』の日々を・・・・。
『生身の』体で・・・
子どもも生まれ、ヒソカにダンナ様を上手く操縦している彼女に会うのは、また後の話。
2004.2.22
初めてちゃんとした感想を頂いて嬉しかった一品。
その後、2つのお話をプラスして本にしたり・・・;;
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